人に何かを求めるのは自分のエゴなのか?その気持ちを少し吐き出す。
人間は生きていく上で他人との関わりが不可欠なわけで、自分自身もそれは実感している。
関わる以上、他人に自分の思いや考えを伝える必要があるわけで、その答えをどこまで他人に求めていいのか?線引きが難しい場面が多々あるように思う。
たとえばこちらが親切心で「こうした方が良いよ」って伝えても、相手にも考えがあり、結果的に親切心を押し付ける形になったりする。
相手がいる場合はお互いの妥協点を、考えながら付き合わないといけない。
何が言いたいかっていうと、仕事で教える立場にいるのだが、教えた後、その期待値を相手にどこまで求めていいのか、ということが最近分からなくなってきたってこと。
相手が自主的に勉強するなり行動してくれれば楽なのだが、なかなかこちらの思うように動いてはくれない。
そもそも期待値を求めている時点で、エゴを押し付けているんじゃないか?
自分は教えた後に何を勝手に期待してるんだ?
それってけっきょく自己満足じゃないの?
自分の言動は正義だと思っていたが、実はただのおせっかいで、相手にとっては迷惑なだけなんじゃ・・。
そんなことを少し考えるようになった。
考えるようになったきっかけは、会社の人から「求めるのをやめた方が良いよ」と言われたことだ。
それは、自分か相手のことを思って言ったのか分からなかったが、おそらく両者のために向けて言ったのだろう。
振り返って考えると、相手に求めることで、結果がついてこないことにストレスを感じていた。
自分でもメンタルが不安定になっていたと思うし、それだけ自分自身が必死だったのかもしれない。
だけど「会社のため」という大義名分を盾にして、人の気持ちを第一に考えなかったのかもしれない。
仕事だから甘い気持ちや悠長なことは言ってられないのだが、他人の教育ほど難しい物はないと実感している今日この頃。
押し付けがましいことをせずに、スッと背中を軽く押してあげて、分からないことがあれば素直な気持ちで傾聴する。
そして少しずつ相手の成長を見守る。
なにより自分の余裕があって初めて、相手と向かい合うことが出来るのではないか。
エゴだ期待値だと考えている時点で、裏を返せば自分に余裕がないと言っているようなものなのかもしれない。
だから、求めるではなく、求められるを心がけたらどうだろうか?
そうしたら考え方、物の見方、言動が変わり、気持ちに余裕が出るのかも。
求められる自分を目指して明日も仕事を頑張ろう(>。<;)