回胴遊戯依存拳という秘孔をケンシロウに突かれた話
大好きだった漫画のキャラクターが、パチスロとタイアップするなんてよくある話だが、僕がホールで出会ったのは、北斗の拳のケンシロウだった。
パチスロを覚え始めた頃は、4号機がまだホールで活躍している時代で、
吉宗 押忍番長 銭形 等が置いてあり、今よりも遊戯人口が多かった。
そして、サミーから発売された北斗の拳といえば、販売台数62万台という人気機種で、パチスロを打っている人なら皆が知っているモンスターマシンだ。
そんな当時のことを少し振り返りながら、記事を書いてみようと思う。
(注:初めて打ったのが4号機というだけで、設定、ゾーン狙い等、専門的な記述はあ りません)
(注2:この記事は自分語りが多分に含まれます)
パチスロとの出会い
友達に誘われ、初めてホールに入ったあの高揚感を今でも憶えている。
台の打ち方、目押し、パチンコ屋のルールが分からず、
友達が遊んでいるのを横で(もしくは後ろで立って)眺めるだけだったが、
台から流れる効果音、液晶の演出を見ているだけで楽しかった。
「お前も打てば?」
コインを少しもらって遊び方を説明してもらい台を回す。
演出は起こるが当たりはせず、コインはなくなってしまった。
だが回す度に、何が起こるんだろう、当たったらどうしよう、という期待感から
ドキドキが止まらなかった。
後日再び友達とホールに行った。
財布には数千円入っていて(今日は自分のお金で少し打ってみるか)と思い、
北斗の拳に着席した。
そしてなんと4千円で当たりを引いてしまう。
慌てて友達を呼んで7を揃えてもらい、人生初のボーナスゲームが始まった。
ナビに従いコインを増やしていき、ゲームが継続する度に脳汁が溢れ、興奮が止まらない。
(ああ、この時間がずっと続けばいいのに)
そんなことを思っていた矢先にボーナスが終了してしまったが、
初めて当たりを引いたこと、そして財布のお金が増えたことに対して、達成感を感じられずにはいられなかった。
またお店に行きたい、そしてあの興奮をずっと味わっていたい、パチスロとは面白いものだと脳がそう認識した日だった。
徐々に壊れていく金銭感覚
それからしばらくは、怖くて1万未満しか打てずにちょこちょこ負ける日が続いたが、
ある時パチンコの初代エヴァンゲリオンを打ち、またも少ない投資で大当たりを引いてしまう。
しかもそれが爆発し連チャンが止まらない。けっきょく5万勝ちをすることができ、 今まで負けていた(もちろん全額ではない)お金を取り戻すことに成功した。
その時何を思ったか(負けてもこうやって取り返せばいい話じゃん。)
後になって考えれば、5万勝ちなんてのはパチンコ屋の撒き餌でしかないわけで、
でもその時の僕はそんなことは分からず有頂天になっていた。
このお金であれを買って残りは軍資金にしてと考え、数万円使い好きな物を買った。
いうまでもないがこのお金は、後日パチンコ屋に還元されることとなる。
5万という今までにない勝ち額を体験してから、1万以上の投資を惜しまなくなっていった。
またあの刺激を味わいたいがために
(使っても勝てば返ってくる、勝てばいいだけの話だ。)
と、お金を使うために、都合の良い言い訳を自分に言い聞かせた。
それでもこの頃は2万以上は突っ込むことは少なく、使ったとしてもそのショックで 2~3週間は禁パチしたりと、まだブレーキが利いていた。
スロットは4号機から5号機に変わって、出玉スピードが遅くなり、爆発力も低下してしまい、この移り変わりを機にパチスロを辞めた方もいると聞く。
たしか5号機初期は、1BIG 300~350枚+RT そういう仕様が多かったと思う。(間違っていたらすいません)
とにかく連チャンに期待出来ず、1撃性が望めないイメージだった。
だがその後ART機が登場し、きん肉マンやバイオハザード、
そして緑ドン、新鬼武者、が登場した。
4号機と比べると出玉は遅いが、事故契機(フリーズ等)により1撃を期待できるようになっていった。
勝ったり負けたりの日々が続いていたが、ある時、新鬼武者のボーナス中に
フリーズを引いてしまい、連チャンが止まらなくなり10万勝ちを経験する。
養分打ちの僕にとって、このようなまぐれの1撃勝ちがひじょうにたちが悪い。
こういった大勝ちをきっかけに、突っ込む金額の上限が解放されていく。
今まで2万位で諦めていたのが、あるはずもない何かに期待し、3万5万と突っ込むようになってしまう。
2~3万まではまだ頭の中で冷静さが残っているが、そこを超えると意識がぼやーっと
してくる。
ギャンブルは熱くなったら終わりというが、まさにそれで、お金を取り戻したい一心から、辞めるに辞めれない状況に陥ってしまう。
そして自分なりの無意味な立ち回りで頑張るのだが、あるラインで、
(今日は無理だ。)と一気に熱が冷め諦めて退店する。
たしか僕のスロ歴の中で、1日の最高負け額は7万だったと思う。
僕はパチスロで何万も平気で使うくせに、食事や服、趣味に対してはお金をケチっていた。
たとえば外食で1000円するような物は頼まないし、新しい服も、給料が出たら安いお店で500~1000円位の物を買おう等、とにかく金銭感覚のバランスがおかしかった。
これには、パチスロで負けたから使えるお金がなくなってしまった、パチスロの軍資金を確保したい、という理由もある。
だがなによりバランスが狂った理由として
「パチスロ以外に価値を感じなくなってしまったこと」、だ。
「料理の美味しいお店に行き楽しい時間を過ごす」
「趣味にお金をかけ、その喜びを誰かと共有する」
こんなことをしている時間とお金がもったいないとさえ思っていた。
本当は逆で、こういうことにこそ価値があるものなのに。
無色透明な過去
過去を振り返り、何かひとつでもこれを成し遂げたと、胸を張って言えるものがあるだろうか。
海外に何カ国も旅行に行った、専門分野を勉強し資格や免許を取った、等なんでもいい。
僕には胸を張るどころか友達も彼女も、夢も趣味も、何もかった。
自分で選択したとはいえ、パチスロを打っていた期間はつまらない思い出ばっかりだ。
フリーズを引いた、万枚を出した、設定6を掴んだ
そんなもの誰が認めてくれる?ホールで注目されたからって何になるんだ。
いくら箱を積んだって閉店時間がくればその栄光は幕を閉じる。
いくら得意げになったところで、店を出ればただのパチンコ依存症でしかない。
僕が必死になって台とATMを行き来している間に、世間の人は人生のステージを
先に進み、そして未来を見ている。
今しか見てない僕とでは同じ時間でもその濃度はまるで違う。
本当に何の色もない日々だった。
パチンコ・パチスロを打つということはそういうことなのだ。
パチスロが僕に与えてくれたものなんて、一時的な快楽のためにお金と時間を無駄にした、後悔、劣等感、虚無感、心身の不健康(肩こり・腰痛、等)、とりあえず思いつくのはこんなところか。
百害あって一利なし、とはまさにこのことだろう。
もしあなたが一利を感じているとしたら、それはパチンコ屋に行くために、都合よく作り出した自分へのいい訳だと思っていた方がよい。
まとめ
まずひとつ、皆さんにお願いしたいことがある。
これから先の未来(自分自身・次の世代)を良くするために、
皆で協力してパチンコ屋を1店舗でも多くなくしましょう。
そしてその方法は至極簡単で、ただ行かなければ良い、本当にそれだけ。
「いや、人の楽しみを奪うなよ」、そういう意見があることは分かる。
パチンコライター、台を作る仕事に就いてる方、パチンコ屋の従業員、等
いろいろな仕事の需要が生まれていることも分かる。
自分で勝手に行って被害者面して、パチンコに対して批判的な記事を書いて、
お前は何様だ、って言われても仕方がない。
でもよく冷静になって考えてほしい。
一日に何万も使わなければ遊べない遊技場が、そこらじゅうにあるということ。
いろんな人が歩く街の中に、依存症という病気の入り口がたくさんあること。
当たり前に存在してるけど、そんなもの本当に必要だろうか?
少なくとも今の僕には必要じゃない。
これからの未来を良くするため、なんてカッコつけたことを言ったけど、
本音を言ってしまえば、自分のためにパチンコ屋がなくなってほしいだけ。
そうなったら僕は安心して日本に住むことができ、安心して外に出ることができる。
だってパチンコ屋に行きたくても行くことが出来ないから・・。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
また次回の記事でお会いしましょう。